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歌わなくなってからの、私のこと①

2011年3月に引退したとき、

「ひとりでも多くの人を笑顔にしたくて歌ってきたのに、結局最後まで、私のほうが皆さんから笑顔をもらってきました」「きっと今日までの日々が、これからの私をいつも支えてくれると思う」

とみなさんに感謝の想いを伝えて、今年9月、4年半ぶりの、1日限りのステージに立ちました。

想像以上にいろんなことがあってw、でも、いつでもやっぱり『好きな色になって、世界中に架ける虹を彩ろう』という”The Colored Rainbow”のフレーズに私自身が背中を押されて、いまより自分らしく、いまより伸びやかに、と大きな決断をひとつひとつ重ねてこられたのは、なぜだかわからないけど、きっと大丈夫!と強く自分を信じられる力を、応援していただいた皆様からもらってきたからなんだろうと思うのです。

引退ライブの後

引退してから1週間は本当にいわゆるバーンアウト状態で、本当にふわふわしてしまって、そんなところに3.11が起こって、翌日に活動収益のほとんどすべてを寄付して、あっという間に春が来ました。
私の中から「うたをつくる・うたう」がどこにも見当たらなくなって、聴く音楽が変わり、ひとりでぼんやりしていれば時々降ってきた音楽も全く降ってこない。拙くとも私らしい言葉を丁寧に紡いでいくこともない。

時を駆けるというよりは、時がすごいスピードでどんどん私を通り過ぎていって、気が付いたらうたっていた「廻田彩夏」がすごく遠くにいて。
小さく吹く冷たい風に感じた切なさも、花びら舞う桜並木ではらはらと流した涙も、きらめく波に感じた衝動も、どこにも見つからなくて、私の歌を聴くことももちろんないから思い出せもしない。
それでも総合商社マン時代にボーナスでとっても高い電子ピアノを買って、でもなかなか弾かなくて。

なぜ今回ステージに立ったんだろう

今回ライブを一緒にやったみんなが昨年夏にも実は、みんなで歌おう!と連絡をくれたのに、「んー私は歌わないよー」と悩みもせず即答しました。でも今年4年半ぶりに歌ってみたのは、やっぱり年明けてまたみんなが、というか、中山由依が、「彩夏そろそろ歌ったら?」みたいなことを、言ってくれたから。
いろんなことがあって、本当にいよいよ、本当それこそ4年半ぶりに、やっと私らしい私に戻っていくきっかけを由依がくれたとも思っています。
由依は私がやめるときにも、「歌はいつでも歌えるからね!」って去りゆく私の背中を押してくれたのに、また歌うときにも背中を押してくれました。本当に大好きだ・・・(;;)

今回のライブに向けて『初めてのお手紙』という曲を二人の子供たちへ新しく書きました。こうやってわざわざ自分で自分を押し殺さないで、溢れ出るなら作ればいいんだなと、今の私がそこに歌をつくることを通じてキャプチャーされて、振り返れば、そのときの精一杯の私が歌を通じてこちらを見て笑っているような気もして。
そうか、こうやってこれからも歌をつくっていけばいいんだ!と感じれて、それが清々しくて。最近もまた沸き上がってきた言葉をまとめて、降ってくる音を拾い集めて、1曲作れそうで。披露するタイミングはわからないなりに、私が私らしく生きるのに、うたをつくる・うたをうたうは、もしかしたら切り離せないのかもとさえ思えるほど、前よりうんと純粋に、音楽が、表現することが、好きみたい。

長くなっちゃった。
『引退したあとの、私のこと』は、自分のためにも今後シリーズ化してお届けしていく予定です。笑

では!